【死との向き合い方】祖母が亡くなりました。

雑記

昨日、祖母が亡くなりました。84歳でした。

久しぶりに葬式や火葬の場を経験し、“大切な人の死との向き合い”について感じたことがあります。

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初孫

僕は初孫だったこともあり、とても可愛がってもらいました。

祖父母は焼き肉屋をやっていました。

小さいころから、会いに行けば美味しい焼き肉を好きなだけ食べさせてくれました。

また、夕張メロンの販売も行っており、メロンも焼き肉と同じく好きなだけ食べさせてもらいました。

祖父は8年前に亡くなり、夕張メロンの販売店は父が継いでいます。

祖母は祖父が亡くなる少し前から体調を崩して、入退院を繰り返すようになりました。

退院後は、すぐに会いに行けるよう、また、日々の生活をサポートしてもらうべく、施設での生活となります。

たまに会いに行くと元気な顔を見せてくれます。

入院生活、施設での生活が長くなると少しずつではありますが、認知症の傾向も現れました。

ですが、家族の顔は忘れることなく、寝たきりになってもなお、明るく振舞ってくれていたことを覚えています。

また、奇跡的ではありますが、祖母が最後に入院した際の主治医は、僕が以前勤めていた病院でお世話になった先生でした。

非常に良い先生なので、安心して祖母の最期を任せることができました。

最後の面会

残念なことにコロナ禍となってからは頻繁に面会することができなくなってしまいました。

ですが、亡くなる約2週間前に先生に呼ばれ、一度面会をすることができました。

酸素マスクなどもつけており、まともに会話することはもちろんできません。

眠っていたところ、家族が声をかけても目を覚ますことはありませんでした。

僕はそういった空気感が苦手でなかなか声をかけることができなかったので、黙って手を握ってみました。

すると、少しずつ目をあけてこちらを見つめながら力強く手を握り返したのです。

ものすごい力でしたが、決して痛いものではなく、まさに“力強い”握手のようなものでした。

「これから頑張れよ」と祖母ならそう言ってくれていると思います。

それから約2週間後に母から亡くなった連絡を受けました。

葬式は家族葬とし、火葬まで滞りなく終えることができました。

棺桶に入っていた祖母の姿はおだやかなものでした。

僕は涙を流すことなく、祖母を送り出すことができました。

それは「死」に対しての向き合い方を少し考えてみたからです。

「死」との向き合い方

誰にとっても大切な人がこの世を去ることは悲しいことです。

ですが、それは誰もが経験することであり、自分自身もまた同じようにいつかはこの世を去ることになります。

仮に突然の死だった場合は少し混乱してしまうかもしれません。

祖父の時は突然だったので、非常に驚きました。

もしかしたら、少しずつではありますが、祖母が入退院を繰り返している時から亡くなることを覚悟していたのかもしれません。

少しずつ死を覚悟しておくこと、イメージしておくことは、いざという時のダメージを軽減させることができるかもしれません。

生きている限り

祖母が亡くなったことはもちろん悲しくないわけではありません。

ですが、自分の身の周りの人が亡くなっても、“自分自身”が生きている限り、明日はやってきます。仕事もあります。

これからより力強く生きていくことで、今までお世話してくれた祖母へのほんのわずかな恩返しになればと思っています。

祖母は今頃、久しぶりに祖父と対面して、この世ではないどこかで元気にしていることでしょう。

僕もいつか同じ世界に行って、また会う時には胸を張っていられるように、もう少し現世で頑張ろうと思います。

プロフィール

Kota
33歳の医療コンサルタント。とんねるめがほん運営。
9年間医療事務として外来・入院を担当。
毎月約9億円を請求していました。
現在は“医業経営コンサルタント”として活躍中。
投資もそこそこに継続中。米国株を主軸としてETFや不動産も少々投資しています。
趣味は読書・ギター・ドライブ・ダーツ。DJもたまにやります。
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